Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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【第7章:噂、名前、出来事――Y県A村にて】
 ――出来事の幻想的な上演の舞台へといつしか誘い込み、私の構成プロセスにおい
て我々を静かに沈澱させる装置。それは、あの「家」については一体どの様なものだ
ったろうか。私が人々の噂を語り続ける内に、私はその到達し難い出来事にいつか確
かに出逢ったのだと思えてくる。確かに……と思えてくること、それはいわゆる信じ
ること、もっと大げさに言うなら信仰と呼ばれるものと取り立てて違いはない。――
もちろん……もし今も、そんな言葉による言い換えが機能していたとしてのことだが。
そしてもし……そんな言葉があの未知の出来事を前にして没落してしまわないとし
ての話だ。私としては、あの未知の出来事だけはいかなる信徒たちも創り出さないよ
うにと願うのだ。しかし……。「その家がかつて人々に何と呼ばれていたのか、そし
てなぜ、どんな恐るべき出来事のためにそんな名前で呼ばれたのか、私がはっきりと
知っていた時があったのだ」という確信。実際奇妙なことだ、こんなことは。こんな
確信が一体どこから生まれてきたのだろう。一体それを何と呼べばよいのか。私がす
でに〈我々〉となってしまった今となっては……。
 ――私はもはや、〈私〉の構成プロセスにおける〈我々〉の沈澱作用を遡ってたど
ることなどできはしない。私はすでに、噂と確信との融合状態における任意の〈私〉
になってしまっているからだ。それで私はやっと救われたのだ。すなわちもはや〈私〉
は誰でもない。あの幻想の舞台で自らの顔を覆い隠しながら、逃げまどい、すべての
他人に「名指される」誰でも……(不意に過去の迫害の記憶が鮮やかに蘇る。「――
お前は一体何を知っているんだ! お前は知っているに違いない!告白しろ! お
前の〈名前〉は****だ!」)
 ――だがもし、この〈私〉の造型プロセスがいつか最終的な形で達成されることは
ないのなら、この身体の表面をくまなく覆う恐れを少しずつ引き裂きながら、私は次
のような記憶をたどることができる。

 ……それは多分、I町でのことだった。さらにY県のことだと言ってしまえば、あ
まりにも明らかな恐怖をある人々に刻みつけてしまうことになる。(言ってしまった
今は、すでに手遅れなのだが。) すでに告白したかも知れないが、私の車の助手席
で、あの時一人の友人があの家の名前を私に教えたのだった。……その友人だが、Y
県A村を拠点に無教会派の実践を続けているY牧師のことなのだ。ここで、あるいは
ぴんときた人もいるだろう。深いおののきとともに。Y牧師に思い当たるのはもちろ
ん、さらに……(「もしかしたらあの家は……」) 
 ――今思えば、ただならない予感もあった。去年の夏のA村の滞在で、Y牧師に誘
われるままに、記憶をたどれる限り、なんと二回も彼のミサに参加しているのだ!一
度目は小さな農場(『****農場』)を営むY牧師の友人の家で、二度目は『**
***』とY牧師自身によって名付けられた彼の生活の拠点、つまり自宅のダイニン
グル-ム兼音楽堂でのことだ。参加した者は、一度目は私を入れて四人。私、Y牧師、
農場を営むX氏、そしてその日の午後から夕方にかけて知り合った一人の若い「作音
ア-ティスト」だった。(ちなみに、ついこの間離婚したばかりだというこの作音ア
-ティストとY牧師、そして私の間には、奇妙にも〈姓名〉に関するどうでもいいよ
うな符合があった。つまり、Y牧師と私の〈名〉はどちらも同じ漢字で同じ音の**
*であり、作音ア-ティストとY牧師の〈姓〉はどちらも同じ漢字で同じ音の***
*なのだ……。) 
 ――ところで、これも言うまでもないのだが、Y牧師を除いて、一人として洗礼は
受けていない。むろん三人とも、今後も受けるつもりはない。Y牧師のミサには、そ
んなことなどまったく必要としない。まして、いかなる告白も、決して要求されはし
ない。すなわち、何者も拒まず、すべての者に開かれているということ、実に当たり
前のようだが、これがこよなく音楽を愛し、ありとあらゆる楽器を弾きこなすY牧師
の姿である。――だが……これもまた言うまでもないのだが、秘められたやましい良
心に震えつつ、勝手に告白してくる者がいくら来ても拒まれることは決してないのだ。
事実彼のもとには、そういった人々の来訪が絶えたことがないし、これからも絶える
様子がないのだから。
 ――ところが……ここに紹介する特異なケ-スは、何を間違ってか私のもとに告白
しに来た〈情報君〉とそれに対する〈外〉からの声にならない声である。

 『………『旧暦通称〈情報君〉の熱い告白と〈外〉からの声。
神に祝福あれ。万人に幸あれ。〈私〉は表面である。〈私〉は万人の幸福を願う。〈私〉
は誰のものでもない。〈私〉は万人のものである。〈私〉は万人に抱かれて、安らい
でいる。誰も〈私〉を独占できない。〈私〉は公開性の原則を支持する。〈私〉は開
かれた社会の味方なのだ。むろん〈私〉は奴隷制度に断固反対する。〈私〉はラディ
カルな民主主義者である。あふれでるこの〈私〉の情熱……。〈私〉は世界の民主化
に貢献する。故に、〈私〉は残酷さを知らない。コギト エルゴ スム[我思う 故
に 我在り]。神の子[=人の子]に栄えあれ。人の子[=神の子]は、謙虚であれ。
悪魔は滅ぼされよ。ア-メン。Q.E.D.(証明終わり。)……故に、〈私〉は極
度に退屈である。生きるべきか、死ぬべきか、それが問題である。いや、〈私〉はま
だ死にたくはない。いや、〈私〉はまだ殺されたくはない。本当のところをこっそり
と言うと、〈私〉は〈私〉の田舎へ帰りたいのだ。[笑い――引用者による] しか
し、それは一体どこなのか? もしそれがかなわないのであれば、〈私〉にとってそ
れこそが問題だ。……〈私〉は誰のものでもない。〈私〉は誰のものにもなりたくは
ない。まして、「〈私〉は万人のもの」などというおぞましい話はしないでほしい。
〈私〉は〈私〉のものなのだ。[再び笑い――引用者(たち)による] 朕は偉大な
り。[この「朕」という文字が直ちに変換されたのには爆笑――再び引用者(たち)
による] ア-メン。Q.E.D.(熱い苦笑い。)』

 『(ここで〈外〉からの声)――〈情報君〉よ。色々と大変な時期だろうが、〈告
白〉もいいかげんにしたまえ。君もそろそろ神経地図にあれだねえ、そのあれ(余計
な落書き)がされているようだし、たまには骨休みにゆっくりといつもの何でもない
おしゃべりの温泉にでも身を浸し、その驚くほど危険な深みにはまってみるのもいい
だろう。すなわち、そこで君が出逢うことは、こうだ。

 ――いつもの何でもないおしゃべりのただなかで、余りにありふれたもの、「その
通りであるもの」として際限もなく呈示され続ける何かへのとめどもない惑溺が、み
ずからを出口=外を失った常識、すなわち狂気の袋小路にするのだ』』
(『ゼロ・アルファ』光景5.一部修正。なお、全体の引用を示す括弧記号『』の内
側に二つの括弧記号『』が存在する形になっている)

 『 …………………………………………………………………………
 『《若い娘=X》の知られざる体育教師:――すると、以後彼[デカルトを指す―
―引用者]が目指すのは、この観念とその原因との因果関係の常に確実な規定という
ことになります。具体的には、私の内の観念、すなわち「私の有する観念」の原因と
しての《あるもの》が、「私自身」であり得るかどうかを、その観念の客観的な実在
性の量の考察によって決定することです。もし何らかの観念の原因が私自身であり得
ないことが常に確実であるならば、この観念が表現する《あるもの》は私以外の何か
であり、従ってそれは「私の外」という領域に位置するという推論が成り立つことに
なります。だが、私によってただ一つ私自身を原因として考えることのできない観念
として見いだされた「神の観念」は、一定量としての、従って規定し得る客観的な実
在性を持ちません。よって、この観念とその原因の因果関係の規定は、この観念の客
観的な実在性の完全な規定によってなされるのではなく、単にその客観的な実在性が
無限であると私が明晰かつ判明に知覚するということによってなされるのです。そし
てこの知覚の内には、同時に私自身の有限性の明晰かつ判明な知覚が含まれています。
すなわち、この「結果」としての神の観念の客観的な実在性の知覚は、この観念を有
する私自身と、あるいは私自身の位置する領域(すなわち「現在」であるところの私
の内)と、この観念の原因として思考される《あるもの》との、あるいはその《ある
もの》が位置すると思考される領域との絶対的な差異の知覚なのです』

 『ミロの親回路がなぜか一度だけ語りかけた放浪の信徒たち:――ところで、この
差異の明晰判明な知覚は、私にとって常に確実であり、また他のどのようなものでも
あり得ないということから完全に規定されています。すなわち、この差異の規定は、
《常に不変であること》を含んでいます。それでは、この差異の規定は、「私の内」
と「私の外」という二つの領域の差異の規定と重なり合うでしょうか。すでに見たよ
うに、「私の内」とは、それが現在という経験の場である限りにおいて、その経験(明
晰判明な知覚)が無際限に反復される領域でした。例えば、私がその確実性をその都
度確信しつつ数を数えていくことができるのはこの領域においてです。だが、この現
在の内にとどまる限り、私はこの計算を導く何らかの演算規則が《常に不変であるこ
と》を真に確信することができません。私の内に存在し得ないのはこの《常に不変で
あること》あるいは永遠です。だが、この《常に不変であること》あるいは永遠は、
「私の外にある」と言えるでしょうか? 注目すべきことに、この点について彼は次
のように述べています。
 「そこで私は、私が何らかの任意の仕方でもって思考ないしは知性によって、私を
超えているある完全性に触れるという、単にそれだけのことから、すなわち、数を数
えていくということを通じてすべての数の内最大の数にたどり着くことは私にはで
きないと認知し、かくてそのことから、数を数えるという視点において私の力を超え
出る何ものかがあると気づくという、単にそれだけのことから、次のことが必然的に
結論されると主張します。すなわちそれは、無限の数が存在するということではまっ
たくなく、また無限の数が、(……)矛盾を含むということでもなくて、私が、私に
よっていつか思考されるであろういかなる数よりも一層大きな数が思考可能である
と把握するそうした力を、私自身からではなくて、私よりも一層完全な《何かあるも
の》から受け取ったということなのである、と」』

……………………………………………………………………………………
 『シネマ「黄昏の薄明のプラハ――バ-ツラフ広場の恋人たち」の関係者たち:―
―このように、〈私〉はあの絶対的な差異の知覚を、そしてそうした知覚をなし得る
力を、《ある他のもの》から受け取ったのである。もはや何ひとつ見ることのできな
い、恐らくは果てのない荒れ地で、〈私〉は《ある他のもの》に出逢い、触れる。今
ここで、それをとらえるどんなすべもない。だが、そこには、〈私〉にとっての始ま
りをしるす、〈私〉に決定的に先立つ差異の受容/触発があった。もし、〈私〉が、
「私の内」と「私の外」という二つの領域の差異を規定しようとするならば、この受
容/触発の〈形〉を[カントが試みたように――引用者]確定する必要があるだろう。
だが、この差異の常に確実な、あるいは不変の規定は、少なくとも〈私〉の内におい
ては不可能であるだろう。そして〈私〉の外においても。なぜなら、この絶対的な差
異は、《ある他のもの》との出逢い/触発がそこで誕生する、思考の境界線上から微
かに離れたある〈ゼロ/不在〉の場所で与えられる(すなわち触れられる)のだから。
それは、その姿をかいま見ることさえできないあの荒れ地において、ある他者の誕生
とともに、その都度やってくる一つの《訓練=試練》として与えられる/触れられる
のだから。それがいつなのか、そしてどこなのか、〈私〉はそのことを知ることが決
してできないのだ。〈他者〉の予測できない到来とともに、それぞれの他者たちが突
然旅立っていく。彼らは一体どこへ行くのだろうか? もし、この黄昏の薄明の広場
ではないのだとすれば?』

 『シネマ「灼熱のアデンの港で――《私、あるいは他者》の旅立ち」の関係者たち:
――この果てのない荒れ地は、いつか同時に広場へと生まれ変わることだろう。街を
引き裂くあの笑いと叫びとともに、焼き払われた街の片隅で、爆破された家の残骸の
傍らで、白熱するプラチナの上で焼かれ、溶解する肉体、打ち砕かれる頭、切断され
る手足、そして流れ続ける血液の波間で、何度でも繰り返して表現することを、絶え
ず試みることが、もしできるのならば、そしてそのことによって、この同じ街路の上
で、あのはるかな《砂漠=大地》の流れに沿って、再びあの荒れ地へと向かうのだと
しても、たとえそうだとしても、もし、この果てのない苦痛と喜びの中で、この力の
渦の中で、永遠に投げ続けられる石が、この同じ街路を、あのいつもの笑いと叫びと
ともに、かつて誰一人見ることもとらえることもできなかった鮮やかな色彩のきらめ
きによって瞬時に塗り変えてしまうのならば……』』
 (『ゼロ・アルファ』光景・.以上の文章は、1987年5月のある日に書かれた
原稿をその後変換したものの末尾である。なお、全体の引用を示す括弧記号『』の内
側に、引用された文における複数の括弧記号『』が存在する形になっている)
【第8章:《絶対的に消される者たち》、あるいは〈魔女〉とは一体誰なのか?】
 ――恐れと不安に満ちた噂の渦が、いつもの何でもないおしゃべりへといつしか溶
け込んでしまったかのようだ。余りにありふれたもののただなかで、その姿を消して
しまったあの未知の名前。そこは一体どこだったのか? いつ、誰なのか? その名
前へと到達しようとする危険に満ちた、文字どおり死を賭けた戦いにおいて、私は確
かに、あの監禁の空間から不可視の超コントロ-ル空間への移行という、「少年と少
女」の誰もが強いられるプロセスを経験したのだった。

 ――ふと振り向くと、
  『信じてる 言葉にしない思いやり』
  『ちょっとまて その一言が相手の心にとげをさす』

 これはある中学校の正門脇の看板に書かれた生徒の作品なのである。この看板は、
おそらくかなり以前から掲げられたままになっているらしいとはいえ、来るべき民衆
の生成という巨大な波の到来が切迫したものとなっている現在、いかにも陳腐だ。だ
がとりあえず、簡潔に分析してみよう。(断っておくが、私はこの特定の中学校に対
して何らの利害関係もない。従って、この分析がいかに「極論」に見えるにせよ、何
らの悪感情も持っていない。おそらくは、「ごくごく普通」の環境であるに違いない。)

 ――最も根源的な問い。ここで「信じてる」のは一体誰か? そして、あえて冗長
な問いを投げかけるなら、「信じられてる」のは一体誰か? どちらも、まったく未
規定な〈皆〉であろう。いつどんな状況においても、決して何も「言葉にしない」限
りでの。つまり、「思いやり」の規定された意味内容がどこかにあるわけではない。
あくまでも「思いやり」とは、「言葉にしない」という未規定な〈皆〉の《現実=状
態》であり続けることそのものである。言葉にすることはすべて、本来何も言葉にす
ることなく思いやるべき「相手の心にとげをさす」最悪の行為として攻撃されている
のだ。 ――「その一言が相手の心にとげをさす」というこのかなり露骨な言表の主
体は巧妙に隠されている。それは、この言表を生産した/する任意の者たちがその代
理人(装置=機能の部分)となっている誰かだ。この予定された言表=現実によって
回収・抹消される、従って、生まれた瞬間に「生まれ得なかった言表群」という地層
の一部となる言表行為の機能は一体どのようなものなのか? そこで消されるのは、
一体誰なのか? 彼、あるいは彼女の名前、そして彼、あるいは彼女が抹消された時
と場所……。それをあなたは、憶えているだろうか? 
 ――「信じてる」(信仰と異端)という問題については、「名前と噂」という二つ
の相関項と組み合わせながら、これまで数々の分析資料とともに探究してきた。

上記二つの標語のあらゆる戦略的・戦術的機能は、この「名前と噂」という問題系に
おいてこそ分析するに値する。ところで、これまでの記述によってすでに明らかなよ
うに、噂の中で迫害される誰かの名前が浮き彫りになるとは限らない。むしろ、予定
された〈現実〉に挑戦するが故に確かに名指され、迫害される者(たち)の名前が噂
の中に溶解し消えてしまうからこそ、遍在する匿名の者(たち)による迫害が絶える
ことなく継続し得るのである。遍在する誰もが、「誰が名指されているのか/迫害さ
れているのか」暗黙の内に知っているからこそ、再びその名前を永遠の忘却へと委ね
ながら、誰一人としてその者(たち)の名前を口にすることはないのだ。――そこで
は、分析はしばしば限りなく困難なものとなる。



 『……昭和五一年に県教委の通達により、生徒指導体制の強化がはかられ、生徒指
導部の専任制などが確立された。校門指導もその中の一つの手段として、校門事
件当時は県下の全日制公立高校の一二八校中一一九校がこれを実施していた。これは
以降、十数年間も続いてきた伝統的な指導方法なのである。現在でも約八割の学校が
何らかのかたちで校門指導を実施している』
 (細井敏彦 『校門の時計だけが知っている 私の[校門圧死事件]』 草思社p.
54.)

 ――たとえ、こうした制度的な経緯がはっきりしているとしても……(特にこの場
合に限れば高校を巡るものだが、いずれにしても、このような制度的経緯は最重要の
分析対象だ)次のような言表行為(あるいは告白)に直面した者は、背後で音をたて
て何かが崩れ落ちていくのを感じるに違いない。

 『……校長の証言
 第二回公判(平成三年一月二九日)では元校長Nが証言に立った。この元校長は校
門事故の責任をとって辞職願を教育委員会に提出し、これが受理され、定年まであと
一年を残し、高塚[高校――引用者による]を去っている。なお、この事件の元校長
に対する県教委の懲戒処分は訓戒であった。
 ……(以下の証言は速記録より再現したもの。他も同様である)。
(…………)弁護人からの反対尋問(…………)
――校門指導をあなたが着任後も続けるとして、どんな校門指導の内容を、あなたは
考えたわけですか。
「私自身は直接考えたことはない」
(……)
――八時半まで登校しない人は遅刻扱いになる。八時半と同時に門扉を閉める。遅れ
た人にはペナルティを課すということは新入生、各年度に説明していたのか。
「そのことまで指導に対する確認はしていない」
(……)
――校門指導の具体的な方法が生徒に伝達されていなかったとしたら、遅刻指導とい
う部分の目的はかなり減殺されるんではないですか。
「生徒が聞いている聞いていないという話をしますと、あくまで私自身の思いでしか
答えることができない」
――新しく着任した先生方に対して、校門指導の具体的な方法は説明したか。
「私個人からは具体的にはない」
――生徒指導部長を通じ、そういうことを指示されたことはありますか。
「具体的にそのことに触れてという記憶はない」
(……)
――今回の事故後の職員会議で過去に生徒指導部長が扉を閉める時には用心するよ
うにと言った言わないという話が話題になったことを覚えていますか。
「そういう状況があったかもしれない」
――その時他の先生の意見はどうでした。
「私自身、事故後の職員会議の
私の政治的状況というものは相当まいっていたので、
先生方の発言はしかと記憶していないが、確かそういうことの発言もあったと思う」
――大多数の先生はそんな話は聞いたことがないというのが事故後の職員会議の意
見ではなかったのですか。
「そのようなことの
思いは

思い出せない」』
 (同上 p.112-119.強調および改行の操作は引用者による)

 ――もちろん、このような部分的な引用によって「元校長」を一方的に批判しよう
という意図はまったくない。問題の全貌を隠蔽しようというのでなければ。しかし、
ある特異な出来事――それはここでの「校門圧死事件」を含むあらゆる「異常な事件」
(と呼ばれるもの)であるが――の成立条件に関与する一連の装置の系列において、
代理人に過ぎないとはいえ、「彼=委託された管理者」という系列上の位置が果たし
ている機能に注目する必要がある。それは、出来事の内在的な吟味としての思考と実
践の回避をもたらすということだ。言うまでもなくこれは、いわゆる「学校問題」に
局限されない、はるかに包括的な遍在する機能である。すなわち、ある他の状況にお
いて、これら引用された言表の(そしてもともとは「元校長」の言表行為の)主体へ
と回収され得ないと言いきれるものが、一体どれだけいるだろうか。これら言表が、
いたるところに、あらかじめ用意されていたとしても?
 ――この機能は、誰に何をどのように聞かれようとも、どのような語ることへの要
求にも、「私自身は直接考えたことはない」(……)「そのことまで指導に対する確
認はしていない」(……)「(……)あくまで私自身の思いでしか答えることができ
ない」(……)「私個人からは具体的にはない」(……)「具体的にそのことに触れ
てという記憶はない」(……)「そういう状況があったかもしれない」「(……)私
の政治的状況というものは相当まいっていたので、先生方の発言はしかと記憶してい
ないが、確かそういうことの発言もあったと思う」(……)「そのようなことの思い
は今思い出せない」といったスタイルで系統的に対応する。それによって、出来事の
成立条件を内在的に分析しようとする試みは、あたかも何事もなかったかのようない
つもの顔と風景の中で、だが同時に、無理矢理に抹消された人々=皆の消しようもな
い恐怖と不安のよどみの奥底で、あらかじめ決定的な打撃を被ることになるのだ。
 ――このような《現実=状態》がいつまでも野放しになっている限り、同様の出来
事が、さらに先鋭化した形で果てもなく繰り返されることになる。すでにこの告白文
でつぎのように語られたように……。
 
 『……いつしか欠如の迷宮へと収容され、手足を切り落とされ、人々の噂の渦の中
できれいに消される者たちは、やがて、あるいは直ちに、〈消される者たち〉から〈消
す者たち〉への果てのない循環の中へと巻き込まれる。(ただし、「噂の渦の中で消
す」ことは、すでに述べたように、同じメダルの裏側としての「〈沈黙〉の海の中で
消す」ことも含んでいる。彼らにとって、「無視」される=その「存在」を消される
ことには変わりはない。) 
 ――「消される/殺される者は消す/殺すほかない」という彼らの最後の叫び。だ
が彼らにとっては意外にも、《絶対的に消される者たち》との出会いへと向かいなが
ら……。すべての他人たちからさげすまれ、消されたかに見えた彼らは、彼らによっ
て最後に消される者たちとの埋めることのできない裂け目を、もはやどうすることも
できないのだ。
 ――だとすれば、《絶対的に消される者たち》、あるいは〈魔女〉とは一体誰なの
か?』

  【第9章:殺人の無際限の連鎖、あるいは《絶滅線》の生成】
            (あるいは、酒鬼薔薇聖斗を巡る試論)


 ――〈魔女〉とは、その「存在」を〈皆〉から完璧に消される者たちによってさえ、
消される=殺されることが自動的に正当化されてしまう《絶対的に消される者たち》
のことである。
すなわち、《最も弱い者たち》だ。
 このような《最も弱い者たち》の抹消=殺人において/によって、
その「存在」を〈皆〉から消される者たちは、
おそらくは〈皆〉の見方に反して、
彼らを抹消した装置=機能としての〈皆〉の系列、すなわち〈世間〉へとその一員=
部品として組み込まれる。そして、これこそが彼らの欲することなのだ。なぜなら、
このことこそ、彼らから剥奪されたことだからだ。彼らの「存在」そのものの剥奪/
抹消として。
 ――言い換えれば、あえてこう問いかけてもいいだろう。彼らもやはり、表と裏を
持つ、〈我々〉と同じ〈普通のコイン〉ではなかったか、と。彼らがそれを意識しよ
うとしまいと、彼らの「存在」を抹消した「世間」そのものの破壊を欲しつつ、同時
にやはり、その同じ「世間」への回帰を求めるという……。
 ――従って、彼らは再び《我々=世間》の眼の前に登場する。およそこの「世間」
にとって〈他者〉であるすべての者の「存在」を抹消するという、彼らへと向けられ
た無際限の連鎖の力の方向を転換することによって。それまでは、自分だけが「最後
に消された者」としてその連鎖から遺棄されるという《状態=現実》を「重荷」とし
て背負い続けていた。だが、「彼らによって最後に消される者たち」を消す=殺すこ
とによって、今や彼らは、《ゲ-ムプレ-ヤ-》として、その連鎖の一つの末端の位
置を占める者になったのだ。つまり、
彼らにとっては、
自らが絶対的な受動性において経験したことを、彼らの眼から見てさえ《最も弱い者
たち》――そこに彼らは自らの癒しがたい傷の鏡像を見る――へと転換しただけなの
だ。

 ――ここで改めて、プロセスの総体を遡って分析してみよう。まず、このプロセス
においては、転換するという《ゲ-ムの規則》が現実に機能しさえすればよい。この
機能は、その作動と同時に、誰が、あるいはどういった集団が転換される力の具体的
な標的、すなわち《最も弱い者たち》として選択されるのかという問題にほとんど自
動的に答えてしまう。この《最も弱い者たち》へと向かう転換の機能が彼らにとって
まだ潜在的なものにとどまっている間は、彼らにとって最も身近な世界においてあら
ゆる素材が動員される。すなわち、この最も身近な世界において、猫やニワトリであ
ろうと、アニメや電子ネット上の、あるいはソフトウェア上の何か/誰かであろうと、
転換/選択の現実的な機能を触発するファクタ-として同じ「存在」という無差別な
位置づけを受けることになる。――ただし、《触発強度の差異》という点を別として。
 ――《最も弱い者たち》の破壊/抹消という究極の標的がその姿をあらわにするに
つれ、遅かれ早かれ、散乱する多様な触発強度の差異は、一つの〈序列〉を形成する
ことになる。彼らは以後、この強度の極限、《最も弱い者たち》の破壊/抹消をどこ
までも追い求めていくことになるのだ。

 ――その際、次のプロセスを経ることが彼らにとって決定的な敷居となる。
 すなわち、それまでは潜在的な《触発ファクタ-》であった「生身の肉体=X」が、
しだいに、苦痛を表現する〈顔〉と〈声〉を持つ《人間の身体》になっていくという
プロセスだ。
 ――それでこそ、彼らにとって破壊/抹消が「強度の極限」を表現することになる。
〈顔〉と〈声〉こそが、〈名前〉と〈噂〉を裏打ちするものとして、《我々人間》の
世界、すなわち「意味の世界」の総体を生産するからだ。彼らにとって、これこそが
全面的な破壊/抹消に値するものなのだ。ただし、破壊/抹消行為の瞬間において、
すなわち強度/興奮の絶頂において、必ずしも〈顔〉と〈声〉が彼らによって知覚さ
れている必要は全くない。重要なことは、たとえそうであったとしても、彼らにとっ
て標的はあくまで「人間であるということ」なのだ。この獲物を自らの手でつかむこ
と、すなわち狩猟のゲ-ムにおいてこの究極の獲物を「破壊する=殺すこと」こそが
目指されているのだ。それこそが、彼らの限りない欲望の標的なのだ。
 ――彼らが我々の眼からみておそるべき残虐な行為を冷静に「実験する」ことから、
彼らにとって標的が次第に「人間の身体から物(と化した人間)へ」という方向にお
いて変化していったと思われがち(語られがち)だが、実際には逆だ。《人間の身体》
となった「生身の肉体」を破壊/抹消することによってこそ、つまり「殺人」によっ
てこそ、彼らの〈内面〉において何度も繰り返されてきた「消される/殺される者は
消す/殺すほかない」という空虚な言表が明確な内実を持つことになる。
 ――内実、すなわち、彼らにとっての「触発強度の極限」としての「自分だけの新
しい世界」の生成。言い換えれば、「作品の完成」。自らの「存在」を抹消した《予
定された言表=現実》の世界を「自分だけの新しい世界」として奪回し、その《言表
=現実》の絶対的な〈主体〉の位置を占めること。もちろん、そのような「主体の位
置」も「強度の極限」もそれ自体として存在しはしない。それを追い求める果てのな
い旅が開始される。全ての他者の身体の破壊/抹消にいたるまで、究極的には「自分
自身の身体」を破壊/抹消するまで、それは終わることがない。
 ――ただし、あの転換の機能において/によって、「自分自身の身体の破壊/抹消」
が最初になされる場合がある。それが「自殺」である。この場合は彼ら自身が〈皆〉
から〈魔女〉として「いじめられ」、すなわちその存在を抹消され、なおかつ自らの
身体を標的=〈魔女〉として抹消する=殺すのである。そして、彼ら以外の無数の他
者たちへとこの殺人の連鎖は引き継がれていくことになる。
 これこそが、殺人の無際限の連鎖をたどる《絶滅線》の生成なのだ。

 ――結局、根源的なことは次のことである。
 この《ゲ-ム=転換作業》において/によって、自らの「存在」を抹消した装置=
機能、すなわち〈皆〉=〈世間〉の無際限な系列に改めて組み込まれること――彼ら
にとっては、それこそがゲ-ムの参加者としての最後の《存在証明》になるというこ
とだ。

 ――しかしこの《存在証明》は、いかなる「救済」でもあり得ない。終わりなき絶
滅への道、果てのない殺人の反復、完全に希薄な迷宮の内側で「自分だけの新しい世
界」をどこまでも追い求め、しかも決して何一つ得られるもののない無限の渇望の砂
漠。およそ考えられる限り最も陳腐なあの装置=機能=〈皆〉の系列の直中で、「自
分だけの新しい世界」を創造しようという絶対的に転倒した試み。それは、端緒にお
いて《欠如の烙印》を受容することでしか、《我々人間》としての資格が与えられる
ことのない世界での出来事である。端緒において「自己」を否定することでしか、生
存を開始することができない世界での出来事である。従って、“端緒における《欠如》
の代理人としての「自己」”を奪われた者は、ただちに“端緒における「自己」の不
在という耐えがたい空虚さ”に直面してしまうのだ。この「欠如の剥奪=欠如」とい
う傷は、癒されることがない。それは新たな剥奪、つまり他者の抹消/殺人によって
際限もなく引き継がれていくことになる。だがそれもまた、あの《欠如の迷宮》とい
うコインの裏側に過ぎないのだ……。

  【第10章:書くことの力――来るべき者たち、あるいは民衆への矢】
 ――今はもう誰もいない部屋に残された告白文の最後の紙片の傍らにて。(告白は
ここで終わっている。) ふと、窓ガラスから射し込む黄昏の光にうながされて振り
向くと、テ-ブルの上に再びあの資料の断片が。

 『……うわさは町中に広まっていたが、児童相談所も民生委員も調査さえしなかっ
た。
 ……施設に入った当初は表情がなく、呼びかけにも反応しなかった。夜はうなされ、
寝つけない。「目を閉じると、あの人たちの顔がぐ-っと近くに来るみたいで」。一
日中泣き通す日もあった。職員の勧めでノ-トに向かった。これまで、何をされてき
たか。B5判のノ-トはみるみる埋まった。次第に職員と話すようになった。上京し
て自立生活を勧める障害者グル-プの若者に会い、勇気づけられた。
 ……最近、支援者の手紙に「『自立』の情報下さい」と書いた。いまは青果市場で
働き、漢字や生活費を計算する練習も始めた。「7月、ハタチになるから。『独立記
念日』が近いから」と、少女ははにかんだ』

 (以下は、告白文の「最後の紙片」へとなぜか書き加えられたものである。)

 ――書くことは、来るべき者たち、あるいは民衆へのあこがれの矢になることでの
み、全ての他者の、究極的には自らの身体の破壊/抹消を目指す絶滅線を乗り超える
だろう。来るべき者たちへの〈中継〉行為であってのみ、創造の線として生成するの
だ。だが、もしこの〈中継〉という行為が排除されるなら、創造の線は絶滅線へと没
落してしまうだろう。来るべき者たち、あるいは民衆へのあこがれの矢を託せた他者
がいなくなってしまう、あるいは死んでしまうことは、この意味で誰にとっても最大
の危険になる。それ以後ただちに絶滅線をたどることなく〈中継〉行為としての書く
こと、つまり終わりのない綱渡りとしての〈自己〉の探究を続けることは途方もなく
困難になるだろう。そこにたった一人でも新たな、ただし決して「回心」を迫ること
なく呼びかける他者が登場しなければ。
 ――そのような他者の出現を〈皆〉=〈世間〉が機能的にきわめて困難にしている
なら、あるいはほとんど不可能にしているなら、遅かれ早かれ、ありとあらゆる(そ
う呼ばれようと呼ばれまいと)「神々」、「教祖たち」……を祭り上げる《信徒》と
なった者たちによる殺人の無際限の連鎖が始まることになる。というよりむしろ、常
にすでに始まってしまっているその殺人の連鎖をもはや止めることができなくなる
と言うべきだろう。これまでの人間たちの歴史の全体につきまとってきた、おそろし
く陳腐な「神々」、「教祖たち」……への「回心の儀式」としてのその連鎖を。その
際「語ること」はすべて(あらかじめ用意された言表を反復する)「信仰告白」にな
る。そして「書くこと」は絶滅=自滅の線を「聖なる戦い」(聖斗)として正当化し、
強化する触媒になるのだ。もしそれを避けることができるなら、あの《欠如の迷宮》
は、来るべき者たち、あるいは民衆へのあこがれの矢が中継される《広場》へといつ
か変貌する。

【付録】
『……[旧暦、以下同様]1846:ソロ-投獄
1849:ソロ-、『市民の抵抗』発表
1862:ソロ-没
1866:ドストエフスキ-、『賭博者』を27日間で書き上げる
1873:ランボ-、『地獄の季節』脱稿
1880:サラ・ベルナ-ル、コメディ・フランセ-ズを去る
1883:ニ-チェ、『ツァラトゥストラはこう言った』執筆開始
1886:ランボ-の『イリュミナシオン』発表される
1887:第一回シオニスト会議開催[あのなつかしのYMCAドミトリ-前のさ 
    さやかなウォ-ル・ペインティングの都バ-ゼルにて]
1888:ニ-チェ発狂 ゴッホ、発作により耳切断
1890:ゴッホ、自殺
1891:ランボ-、右足切断 その後全身癌により死亡
1900:ニ-チェ没 シュレ-バ-、『ある神経病者の回想録』執筆開始
1908:ニ-チェの『この人を見よ』出版
1909:アングロ・ペルシアン(イラニアン)石油会社設立
1909-1910:マティス、『ダンス』制作
1911:テルフビブ市建設 シュレ-バ-、ライプチヒ=ドェ-ゼン精神病院で 
    死亡
1913:デュシャン、『チョコレ-ト粉砕器 No.1』制作 デ・キリコ、  
    『予言者の報酬』制作
1914:第一次世界大戦勃発 デ・キリコ、『街路の神秘と憂愁』発表
1916:サイクス・ピコ協定成立
1917:バルフォア宣言 エリオット、『プル-フロックとその他の観察』発表
1919:田中一村(本名田中孝、この頃最初の画号の米邨を用いる)、『ハマグ 
    リ』制作(11歳)
1921:田中一村(米邨)、『アジサイ』制作(13歳)
1922:エリオット、『荒地』発表
1923:リルケ、『ドィノの悲歌』発表 大杉栄、伊藤野枝甘粕大尉により虐殺 
    同時に朝鮮人大量虐殺
1924:カフカ没
1925:『訴訟』出版
1926:『城』出版
1927:『アメリカ』出版
1934:ミラ-、『北回帰線』発表 アルト-、『ヘリオガバルス あるいは戴 
    冠せるアナ-キスト』発表
1939:第二次世界大戦勃発 ミラ-、『南回帰線』発表
1947:デユシャン、『触ってください(《1947年のシユルレアリスム展》 
    カタログのために)』制作
1948:イスラエル建国 アルト-、イブリ-療養所内で死亡
1949:ジュネ、『泥棒日記』発表
1951:ベケット、『モロイ』発表
1954:ケ-ジ、キノコを初めとする菌類学研究を開始
1958:田中一村、奄美大島に移住
1959:バロウズ、『裸のランチ』発表 ゴダ-ル、『勝手にしやがれ』発表
1960:バラ-ド、『時の声』発表
1968:デュシャン、ケ-ジと一緒に仕事 デュシャン没
1972:ケ-ジ、ソロ-の為の作品『ミュ-ロ-(Mureau)』を歌う
1975(頃):田中一村、『アダンの木』制作
1976:ベケット、バロウズと会う スティ-ブ・ライヒ、『18人の音楽家の 
    ための音楽』発表 
1977:田中一村、奄美にて没
1986:チェルノブイリ原子力発電所事故
1987:イスラエル占領地でパレスチナ人によるインティファ-ダ(石による抵 
    抗運動)開始
1992:8月、ケ-ジ没
1994:ウォン・カ-ウァイ(王家衛)、『東邪西毒 Ashes of Time』発表
1995:エミ-ル・クストリッツァ、『アンダ-グラウンド』発表
1996:8月、Y牧師、Y県I町における……の経験を現地で〈私〉に〈告白〉(未
完)』
(『ゼロ・アルファ』第一部、第二草稿=1990.9/2-1992.7/18.
光景・ 部分的に記述を付加 なお、全体の引用を示す括弧記号『』の内側に、引用
された著作のタイトルの括弧記号『』が存在する形になっている)

 『5000万年前 スミロデクテス、両眼が前方を向き、立体視と遠近感覚おこ 
         る
  1500万年前 東アフリカに前猿人出現、二足歩行開始
  500万年前  東アフリカに猿人出現(アウストラロピテクス・アフアレン 
         シス)、直立二足歩行開始
  450万年前  猿人の母指対向、モノをつかんでつかう(アワッシュ渓谷の 
         猿人遺跡)
  100万年前頃 原人、5指を制御する脳の発達
  12万年前   最古の食人儀礼趾(クラピナ岩陰遺跡)
          ネアンデルタ-ル人に死の観念と丹色の神聖視(死体埋葬と 
         死者への丹土散布)
        ルバロア技法発明(石器の仕上がり形態をイメ-ジして製作、
          剥片石器の多様な使用)
  10万年前   死体への赤鉄鉱散布、世界に拡大
  7万年前頃   現存最古のダンス(ティク・ドゥ-ベ-ル遺跡にネアンデル 
         タ-ル人の集団舞踏足跡)
  5.0万年前  現存最古の墓碑(埋葬場上に円石、コンブ・グルナル洞窟)
  3.5万年前  ヨ-ロッパに妊婦、両性具有石偶盛んに製作
  3.2万年前  オ-リニャック文化に輪郭線を強調する線描画、刻線画出現 
3.0万年前  人面石彫(マルコフ遺跡)
  2.5万年前  最古の塑像[ベストニッツェの女性小像](マンモス骨粉を 
         混ぜた粘土使用)
  2.2万年前  マンモス骨製の肩かけ太鼓、シロホン、カスタネット、ガラ 
         ガラなど多様な楽器(メンジン遺跡)
          プエブラのマストドン骨片彫刻(象、猫、マスクをつけたシ 
         ャ-マン)
  1.9万年前  アルタミラ洞窟のマカロニ(3本の指で描いた屈曲線)
  1.8万年前  指先で輪郭線を描く(ラ・ピレタ洞窟、洞窟絵画開始)
  1.7万年前  マドレ-ヌ文化に輪郭線を強調する素描(ラスコ-壁画初期)
          鮭の生命線(内臓)を線刻(後期ソリュ-トレ期のポアソン 
         岩陰壁画、X線画法)
          馬を飼育か(囲い込み繁殖) 
  1.6万年前  野牛の姿をしたシャ-マンの線刻画(レ・トロワ・フレ-ル 
         洞窟)
          クロ-ビス文化に押圧剥離法による両面加工尖頭器の発達
  1.5万年前  緑色泥版岩製コケシ型人形(岩戸遺跡)
          彩画出現(赤色オ-カ-のチョ-ク、草・毛髪・羽・かみく 
         だいた細枝の筆使用)
          ケニアで家畜飼育開始(マサイ族の前身か)
  1.2万年前  現存最古の土器(縄文草創期、隆線文土器、福井洞窟)
          フランコ・カンタブリア美術に男根、女陰の彫刻、浮き彫り 
         さかん。 
魚の体内の消化器・骨格の見えるX線画法(オ-ト・ピレネ 
         -のロルテ遺跡)
  1.1万年前  パレスティナの貿易センタ-化(死海の塩・硫黄、シナイの 
         トルコ石、紅海の宝貝、アナトリアの黒曜石)
          マドレ-ヌ文化の狩人、赤い平行線、十字模様を線刻した石 
         を携帯(護符か)
  8500年前  ヨ-ロッパの森林化、西アジアの草原化
          イエリコ市に円塔、神殿の建設(後のメソポタミア諸都市の 
         原型か)
  BC6000  続マドレ-ヌ期に視覚世界に対応物のない抽象図形出現
  BC5600  メソポタミアのサマラ期に灌漑技術発達
  BC5500  このころバルカン、ドナウ下流域に共有の礼拝施設を持つ集 
         落出現
  BC5200  このころチャタル、フュックで鉛と銅を使用
  BC4800  このころチャタル、フュックなど先アナトリア文化、最盛期 
         のなかで突然滅亡
          パレスティナのラス・シャムラに最初の防護壁(ウガリトに 
         発展)
  BC4500  このころ南メソポタミアに神殿を社会中心とする都市形成開
          始
  BC4241  恒星年の発見、太陽暦のはじまり(1年=365日)とされ 
         る
  BC4200  このころエリドゥ市に洪水神エンキの神殿
          現存最古の織物(エル・ファユムの亜麻布)
  BC4100  このころ大洪水によって、南メソポタミアの諸都市滅亡か
  BC4000  ゼンドの石文(エジプト象形文字に発展)
          メソポタミアのエリドゥ市に絵文字(湿った粘土に書く) 
          エジプトで10進法
  BC3800  シュメ-ル太陰暦成立(1年=364日9時間)     
  BC3700  ウルク白神殿の司祭、シュメ-ル文字の発明(3000の絵 
         文字)
  BC3600  自然発生した神々が都市神に移行(ウルク市のイナンナ神、 
         エリドゥ市のエンキ神、ニップ-ル市のエンリル神など)
          このころ数字と数学の発生(足し算・引き算・掛け算・割り 
         算・分数)
  BC3500  このころからシュメ-ル人のウルク神殿期開始
          シュメ-ルに神官が支配する行政制度確立
  BC3200  このころシュメ-ル絵文字、楔形文字に移行開始(タテ書き 
         からヨコ書きへ)
  BC3100  上エジプト王メネス(ナルメル)、エジプトの統一(第一王 
         朝開始)
          エジプト王権、天空神ホルスに与えられたものとされる(王 
         権神授説)
          エジプトにバ-(肉体)とカ-(魂)の神秘的合体思想
          クレタ島の初期ミノア文化
  BC3000  このころ大洪水とノアの方舟伝説の原形
  BC2920  スネフェル王のシナイ鉱山開発開始
          エジプト王、クレタ人にファロス港を開港させる
  BC2500  初期ミノア2期開始(クレタ文明興隆)       
BC2450  初期ヘラディック期開始(キュクラデス、クレタ系の人種の 
         定住)
BC2000  このころクレタ島のクノッソス、ファイストス、マリアに古 
         宮殿建設
BC1820  このころクレタ島の古宮殿、地震によって崩壊      
BC1660  クノッソス、ファイストス、マリアに新宮殿再建
ミケ-ネ文明興隆
BC1600  このころギリシア人、クレタ文明受容
BC1580  クノッソス王の東地中海統一(後期ミノア文化開始)
……………………………………………………………………………………… 
  BC1380  ミケ-ネ南下して、クレタのクノッソス宮殿破壊』  
     (松岡正剛監修 『情報の歴史』NTT出版より抜粋 なお、強調の傍 
     線は引用者による)

【全体の記述への付記】
 『〈告白〉の行方』第一部、第二部の両者において引用されている『ゼロ・アルフ
ァ[Zero-α]――出来事のために』の成立過程は、以下の通りである。なお、
引用文の後の括弧内に第二部と書かれていないものは全て第一部の記述である。

*第一部:第一草稿=1975年10月-1990.2/15.
*第一部:第二草稿=1990.9/2-1992.7/18.
*第一部:最終変換=1995年2月初旬から1995.3/19.
*第二部:第一草稿=1993.12/21から約一月の間.
*第二部:第二草稿=1995.3/20-3/28.
*第二部最終変換:1996.2/3-2/6.


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